美酒×美食やまがた

山形県

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「せうゆ」豊かな香りに誘われて、「もう一口」が止まらない。しょうゆ味の物語。味を引き出す、大地の力

米沢牛

上杉家が礎となり、地域全体で育て上げたブランド牛。

今や全国的に有名な米沢牛だが、この地で牛を食べるようになったのは明治時代に入ってからのこと。ある1人の外国人がきっかけだったという。
「米沢牛のはじまりには、実は上杉家も大きく関わっているんです」。上杉伯爵邸の総支配人、遠藤勲さんは言う。
上杉伯爵邸は、上杉家最後の藩主、13代茂憲もちのり公(後の、上杉茂憲もちのり伯爵)の本邸として1896(明治29)年に「鶴鳴館かくめいかん」として建造され、1919(大正8)年には大火にあうも再建し、観光や食事に訪れる人で賑わう現在のかたちへと変遷を遂げてきた。
「1871(明治4)年、英語教師として横浜から米沢藩の藩校『興譲館』に招かれ、4年間この地で教鞭を執ったチャールズ・ヘンリー・ダラス。当時、牛に限らず4つ足の動物を食べる文化がなかったこの地で、牛を食べるようになったのは彼の赴任がきっかけだったと言われています。彼が教鞭を執った興譲館は、9代藩主鷹山公が開校した藩校であり、元をたどれば4代藩主綱憲公の学問所であり、上杉家とは切っても切れない関係にあるんです」。
当時は洋食をつくれる料理人が少なかったのだろう。ダラスは、料理人とともに赴任したという。

「4年間の任期を終えて横浜に帰る際、ダラスが連れてきた料理人がこの地に残り牛肉店を開きました。彼が戻っても、牛肉を食べる文化がこの地に定着したのは、この料理人の存在が大きかったんでしょうね。また、横浜に帰る際ダラスは牛を1頭連れて帰り、友人たちに振る舞ったところ大変好評だったそうです。米沢牛が県外へと広まっていくのには、もう少し時間がかかるんですが、これがおそらく、はじめて首都圏の方がこの地の牛を食べた出来事だったんではないでしょうか」。
この出来事がきっかけとなり、横浜の牛肉問屋と契約が結ばれ、また1899(明治32)年には奥羽本線が開通し、この地で育った牛の関東方面への出荷が始まった。当時の貨車送り状に「米沢」と記載されていたことがきっかけで、誰ともなく「米沢牛」と呼ぶようになったそうだが、「幻の牛」と呼ばれるほど数は少なかったという。
「この地に限らず、当時の牛は農耕用に飼育されていたものがほとんどでしたから、当然数は少ないわけです。食肉用の飼育が盛んになったのは、戦後農業の機械化が進んでからのことでしょう」。
米沢牛の生産量も増えると、銘柄を全国へPRすべく1988年(昭和63年)に「米沢牛出荷組合」が結成され、安定的な東京食肉市場への出荷が始まった。また1992年(平成4年)には行政や関係者が一体となり「米沢牛銘柄推進協議会」を設立し、米沢牛の定義や出荷基準を定め、さらなるブランド化を図り、現在に至るという。

ほろりとほどけ、口いっぱいに広がる旨み。

「肉全体がピンク色で、何よりの特徴は口の中でとろける脂身の旨みですね」。1995(平成7)年から20年以上にわたり、上杉伯爵邸の総料理長を務める朝倉輝良さんは言う。脂身がとろけ、肉全体がほどけるような食感を生み出しているのは、脂身の融点の低さだという。「室温でも溶けてしまうので、品質管理には本当に気を遣っています」。

お店ではさまざまな郷土料理もいただくことができるが、圧倒的な人気は何といっても米沢牛。すき焼きとステーキが、二大人気メニューだという。どちらを食べるか迷ってしまうが、お店の味を楽しみたいなら秘伝のタレでいただくすき焼きだろう。
「創業以来の秘伝のタレは、米沢牛の味を引き立たせることを第一に考えた味です。少し甘めのタレで、たくさん召し上がっていただきたいですね」。
料理はもちろんだが、四季折々の草花が彩る庭園もぜひご覧いただきたいとのこと。「浜離宮を模した庭園も、大変ご好評いただいております。庭を眺めながら、米沢牛を召し上がり、ゆったりお過ごしいただければと思います」。
米沢の地、そして米沢牛という食文化の礎を築いた上杉家の歴史が感じられる空間で、季節の彩りを愛で、米沢牛に舌鼓を打つ。そんな贅沢な時間が、ここにはある。

山形蕎麦

自慢の地域食、お腹いっぱい召し上がれ。

夏の暑さも、冬の寒さも厳しく、1日の中でも気温が大きく変動する大石田町。おいしいそばが育つのに最適な気候で、古くから産地として知られてきた。
「この辺りの人にとっては、そばは食べに行くものではなく、自宅で打って食べるものなんです」。
高い木々に囲まれた次年子川沿いの道を上流へ向かうと、右手の小高い丘の上にある七兵衛そば。ご主人とともに、3代目として店を切り盛りする遠藤麻理さんは言う。
「特に人が訪ねてきたときのおもてなしには、そばは必ずと言っていいほど登場しますね。うちは祖父がそば打ちが上手で、人に食べさせるのが大好きな人だったんです。もともと農家だったんですがそばの評判もよく、好きが高じてお店を始めた感じですね。ちなみに、お気づきかもしれませんが、店名の『七兵衛』は祖父の名前なんですよ」。町内にはたくさんのそば屋があるが、実は同じようにして商売を始めた店は少なくないそうだ。それほどまでに、そばを食べる文化が根付いているということだろう。
そばは在来種である来迎寺という品種をベースにブレンドしたもの。少し太めに切られたそばはコシが強く、噛むほどにやさしい甘みが広がる。大根の絞り汁に少し甘めのつゆを入れて食べるスタイルで供されるが、これがなんと食べ放題、売り切れなし。

「もともとお客さんへのおもてなしのためにつくっていたものなので、やっぱりお腹いっぱい食べていただきたいんです。このやり方で始めた祖父も、同じ気持ちだったことは間違いありませんね」と麻理さん。「忙しいときは、朝から夕方まで打ちっぱなしですが、打ちたてを満足するまで食べていただけるのは嬉しいですよね」と祐介さんが続ける。平日でもお客さんの大半は県外の方で、休日ともなれば開店前から長蛇の列となり、祐介さんの言葉通り1日中そばを打っていることも珍しくはないという。
土地の気候に合った作物を育て、食し、振る舞う。そばは、大石田町の「ソウルフード」と言ってもいいかもしれない。食べに出かける際は、早めの出発をおすすめする。

TOPICS芋煮

エリア別芋煮

最上川舟運の終着港で船頭たちが積荷で鍋をしたのが始まりで、各地域によって微妙に味付けや材料が異なる。味はもちろん、9月から10月にかけて河原で芋煮会を楽しむ光景を眺めるのもまた一興かもしれない。

TOPICS山形のだし

だし

細かく刻んだ野菜を醤油で和え、ごはんや豆腐にかけていただく、村山地方の夏料理「だし」。キュウリやナスにシソやミョウガ、ネギ、ショウガなど香味野菜の爽やかさが、山形の暑さにバテた胃袋にやさしく沁みわたる。

第6の調味料 眺め、遊び、浸かる。おいしい旅の隠し味第6の調味料眺め、遊び、
浸かる。おいしい旅の隠し味

おいしい食事に欠かせないのは、なんと言っても空腹。
足を延ばしていろいろ巡れば、旅はまだまだ美味しくなる。
山形の美食・美酒と一緒に味わってください。
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