美酒×美食やまがた

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「みそ」 強い素材も引き立てる、どっしりとした存在感。みそ味の物語。醸されて、旨みひらく。

赤湯ラーメン

独自の進化を遂げた、ラーメン王国の雄。

新そばの季節に限らず、県外から多くのそば好きが訪れる山形県だが、たくさんのおいしいラーメン店がしのぎを削る、全国トップの「外食におけるラーメン消費量」を誇るラーメン王国でもある。ほとんどの店が、醤油ベースのシンプルなラーメンを看板メニューとして提供する中、一際異彩を放っているのが南陽市の温泉街、赤湯で供される「赤湯からみそラーメン」だ。
「味も製法も、昔からほとんど変わっていません」というのは、自他ともに認める赤湯からみそラーメン発祥の店「龍上海」の三代目店主、佐藤元保さんだ。独自の進化を遂げたこのラーメンについて知るには、創業時まで遡る必要があるという。

「当店がオープンしたのは今から60年ほど前、1958(昭和33年)のことです。ラーメンだけでなく、どんぶりものやカレーライス、定食などさまざまな料理を食べることができる『上海食堂』としてスタートしました」。
今でこそ誰もが気軽に食べられる国民食になったラーメンだが、当時はまだ高級料理というイメージがあり、注文する人はほとんどいなかったのだとか。
「毎日毎日、大量のラーメンスープが売れ残ったそうです。『さまざまな食材を使い時間をかけてつくったスープ、栄養価も高いので捨てるのはもったいない』。そう考えた祖父である初代は、スープにみそを入れ、みそ汁代わりに家族に飲ませることがあったといいます」。
佐藤家の食卓に上がっていたみそ入りのラーメンスープ。これが後に、赤湯からみそラーメンへとなるわけだが、その「変身」のきっかけをつくったのは、元保さんのお父さんである二代目・春美さんだった。

「上海食堂がオープンしたとき、当時11歳だった二代目は『毎日ラーメンが食べられる』と喜んだそうですが、初代が家族のためにラーメンをつくることはありませんでした。『食べたかったら自分でつくれ』と言われた二代目は、その後店にある材料を使って、ときどき初代に意見を求めながら自分でラーメンをつくり始めたといいます。我が親ながら、驚きの行動力と探究心だなと感心しますね。そんな二代目が試行錯誤を重ねながらつくっていたのは醤油ラーメンだったんですが、例のみそ入りラーメンスープにも麺を入れて食べたりしていたようで。それをヒントにして初代がつくったのが、赤湯からみそラーメンというわけです」。

どんな素材もおいしく仕上げる、飽くなき探究心。

こうして赤湯からみそラーメンが、「みそ中華」という名前で提供され始めたのはオープンから2年後の1960(昭和35)年。しかし、時代はまだラーメンを求めておらず、ましてや見たこともないみそ味のラーメン。すぐにたくさんの人に食べられるようになったわけではなかったという。少しずつ改良を重ね、人気メニューへと押し上げたのもまた、二代目の春美さんだった。
「『おまえのためにつくった店だ。好きなようにやってみろ』。初代からそう言われた二代目は、高校卒業後すぐに店を継ぎました。『やるからには、まちの定食屋で終わりたくない』。そう思った父は、まず麺の改良に取り組みました。当時は手打ち麺を使っていたんですが、味はよかったものの、のびやすいという欠点がありました。それを超える、おいしくてのびない麺をつくるため、製麺機を導入しひたすら麺をつくり続けたそうです」。

店の営業を続けるかたわら、毎日麺の改良に取り組んでいた春美さん。やっとの想いで納得のいく麺をつくりあげ初代に見せるも、食べてもらえないどころか触れられもせず「出来損ないの麺だ」と一蹴されてしまったという。
「もちろん二代目はカンカンですよね。でも、茹でてみたらまったく麵が泳がなかった。つまり本当に出来損ないの麺だったんです。今でも二代目は『一生かかっても初代を追い越すことはできない』と言いますが、こういう経験を何度もしたのかもしれませんね」。
その後、見事初代を納得させる麺をつくりあげた春美さんだったが、そこからがスタートだとさらに改良を重ね、現在の赤湯からみそラーメンにも使用されている、のびにくく味もよいちぢれた太麺をつくりあげた。こうして完成した赤湯からみそラーメンは、「辛くて食が進む」と人気を博し、少しずつ地元の人たちに浸透していったという。味の決め手は、やはり自家製のからみそ。材料の唐辛子は、昔から南陽市産のものを使っているそうだが、「地場のものを使いたい」というこだわりがあるわけではないという。
「『赤湯にいて普通に手に入るものを使っても、おいしいラーメンはつくれる』というのが、今ほど簡単に遠方のものが手に入らなかった時代からの当店のこだわりなんです。地元の唐辛子を使っているのも、たまたまこの辺りは生産が盛んで大量に入手できたからですし、水も普通の水道水を使っています。『素材にこだわらなくていい』と言い切れるだけの味をつくるために努力を重ねてきた初代、二代目を本当に誇りに思いますね」。

この味を、より高いレベルで、さまざまな地域の方に。

県内だけでなく横浜にも店舗が展開され、おみやげ用のラーメンやインスタントラーメンにもなり、龍上海の味は今や全国区。完成されたかに見えるが、「まだまだやりたいことはある」と元保さんは力を込める。「大前提であり最重要なことは、いつでも安定して龍上海の味をお出しすること。麺にしろスープにしろ、気温や湿度で状態が変わってしまいます。それを踏まえて、しっかりとコントロールし続けていくことが第一です。そして、この味をより心地よく体験していただくため、盛り付けや店舗の美化など、細部にまでこだわったサービスレベルの向上に努めていきます。本店を中心に、核となる店舗のレベルアップを図りながら、店舗展開でも次のステップに進みたいと考えていて、二代目の悲願でもある西日本への進出を本格的に検討中です」。

今後ますます、赤湯からみそラーメンを味わうことができる地域は増えていくだろう。しかし、やっぱり1度は本場赤湯で食べてほしい。汗をかきかき辛旨な1杯を平らげた後は、寄り道ついでのひとっ風呂も、どうぞお忘れなく。

寒鱈汁

素材の旨みが活きた、庄内の冬のごちそう。

写真提供:庄内浜文化伝道師協会

雪が降り、風が吹き荒れ、白一色に染まる庄内地方の冬。そんな寒い寒い季節に、地元の人が好んで食べる「寒鱈汁」。本来は、身を入れず頭や内臓だけを使ってつくるアラ汁であり、地元では「鱈のどんがら汁」と呼ばれることの方が多いという。「漁師の料理が原型なので」とルーツについて教えてくれたのは、江戸の享保年間(1716~1736年)創業の鶴岡市の「料理・宿 坂本屋」当主の石塚亮さんだ。売るために身を外した鱈を、漁師たちが汁にして食べたのが起源なのだそう。
坂本屋がある三瀬地区は、秋田から鶴岡を通り越後を抜ける「羽州浜街道」の宿場町として、江戸中期頃から多くの宿や茶屋が軒を連ね大変賑わったという。時代小説を得意とした鶴岡出身の作家「藤沢周平」の短編『三年目』には、三瀬村の茶屋の娘が描かれ、「坂本屋才吉」という名前で坂本屋も登場しているそうだ。そんな歴史ある土地の、歴史あるお店で味わえる寒鱈汁は、原型に限りなく近いスタイルだ。
「鱈が最も多く獲れるのは2月の中旬ころで、実はその少し前、1月下旬から2月上旬が1番おいしい時期なんです。その時期の鱈であれば、鱈自体の旨みと味噌だけで十分においしい。昆布など、だしを取るものすらいらないんです。酒粕を入れてつくるものも多いですが、本来は魚の臭みを消すためのもの。最盛期の鱈は臭みもないので、入れる必要はないんですよ」。
1番おいしい時期の鱈のどんがらを味噌だけで仕立て、白子や肝、旬の岩ノリ、香味にセリをのせていただく坂本屋の寒鱈汁。極めて素朴ながらも豪華な、この昔ながらのスタイルで、2016年全国ご当地グルメコンテストでは最高賞を獲得したという。

寒鱈汁は、地元に暮らす人だけが知る、本当の旬の味の一つと言えるだろう。それは、現地を訪れ厳しい寒さを体感するからこそ、味わえるおいしさなのである。

TOPICS雪国の暮らしを、
あたためてくれる味。

納豆汁

納豆汁は、冬にいただく山形県の郷土料理。最上地方では正月や七草の時期に、今でも多くの家庭で食べられている庶民の味なのだ。とろとろになるまですりつぶした納豆をベースに、ワラビやウドなどの山菜、なめこ、里芋の茎を干した芋がらなどを入れ、味噌で仕立てれば完成。体が芯からあたたまる、寒い山形の冬には欠かせない一品なのである。

問/山形県料理飲食業生活衛生同業組合新庄支部 0233-23-4820

第6の調味料 眺め、遊び、浸かる。おいしい旅の隠し味第6の調味料眺め、遊び、
浸かる。おいしい旅の隠し味

おいしい食事に欠かせないのは、なんと言っても空腹。
足を延ばしていろいろ巡れば、旅はまだまだ美味しくなる。
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