美酒×美食やまがた

動画を見る

「す」 採れたてから古漬けまで。野菜を長く味わい尽くす、すっぱみの物語

漬物

漬物がある暮らしの豊かさを、たくさんの人に。

もともとは、食べ物を保存するためにつくられてきた漬物。かつて、冬になると作物が育たず、雪に閉ざされ物流も途絶えてしまう山形で、漬物が食文化として育ってきたのはある意味で当たり前のことなのだ。
現在、製造販売、漬物の素の開発、レシピの考案、講座運営など、漬物を軸にさまざまな事業を展開する新関さとみさんだが、その奥深さに触れ、漬物に惹かれていったのは、結婚して嫁いでからのことだという。
「夫の母が、とても漬物が上手な人で、家業をやりながら育てた野菜や、周りの農家さんからいただく野菜で、いろんな漬物をつくっていたんです。1番印象的なのは、特にこの地域で親しまれている 青菜せいさい漬けです。はじめて挨拶に伺ったときに食べさせてもらい、大げさではなく感動してしまって。それまでに食べたどの 青菜 せいさい 漬け よりも、味も歯ごたえもよくて、本当に衝撃だったんですよね」。
青菜 せいさい 漬け は、幅広で肉厚の茎が特徴の高菜の一種で、村山地方を中心に、山形県の多くの家庭で食されている漬物。旬を迎える11月にたっぷりと仕込み、2月まで少しずつ食べ続けるのが昔からの慣習だ。
「最初は、青々として辛みがありますが、その後味がなじみ、時間とともにべっ甲色になり、味に深みが増していく。その変化を楽しみながら、最終的には『 茎菜煮 くきなに 』という煮物にしていただくんです」。
青菜 せいさい 漬け はまた、専業主婦だった新関さんが事業を始めるきっかけになった漬物でもあるという。

「青菜が豊作で、仕込んだ段階で明らかに食べきれないことがわかった年があって。義母の 青菜 せいさい 漬け が本当においしいと思っていたので、いろんな人に食べていただきたいと思い直売所で売ることを提案したら、主人にも義母にも大反対にされて。でも、やっぱり諦めきれなくて売ってみたら、結構な量が早々に売り切れたんです。主人も義母も驚きながらも、『お前が売ったんだから、売り上げもお前のものだ』って言ってくれて。本当にちょっとした思いつきだったんですが、これが漬物で事業を始めるきっかけになりましたね」。
さまざまな事業を展開してきたが、現在は「漬物は自宅で漬けるのが1番」という想いのもと、普及活動に特に力を入れている新関さん。漬物がある暮らしの豊かさについて、こんな話をしてくれた。
「冬の間は 青菜 せいさい 漬け 、白菜漬け、たくあんをいただき、それが終わるとキャベツなど、春野菜を漬けて食べる。これも嫁いでから気づいたことなんですが、この地域の人たちにとっては、漬物は季節を感じるものでもあるんですよ。漬物を通じて、それを取り巻く豊かな文化も伝えていけたらなと思っています」。
「旬」という言葉からは、とれたての野菜や魚をイメージしがちだが、山形を訪れる際はぜひ「旬の漬物」も忘れずに味わってほしい。

豊かな自然の恵みから、おいしいところをぎゅぎゅっと抽出。お酒の物語。溢れ出る、恵みの滴。

日本酒

地域とともに「河北町の酒」を、これからも。

全国有数の米どころ山形県には53の酒蔵があり、各地においしい日本酒がある。県の中央付近、村山地方の河北町にある和田酒造は、1797年の創業以来同じ場所で酒造業を続けてきた。酒蔵に限らず、歴史ある会社は昔の記録が残っていないことも少なくないが、和田酒造では創業からの歴史がきちんと残されているという。そのきっかけになったのは、1860年に起こったある出来事だった。
「この辺り一帯を焼き尽くす大火があったんです。貯蔵蔵1棟を残して自宅も蔵も焼けてしまい、当時の当主であった3代目が『初代まで遡れるうちに蔵の歴史を残しておこう』と思い、記録をつけ始めたそうです。『家財は焼けてしまったが、貯蔵蔵にお酒が残っていたから頑張って酒造業を続けられた』という記録も残っているんですよ」。
穏やかな口調でそう教えてくれたのは、商品の企画や開発を手がけている和田弥寿子さんだ。酒蔵の一人娘として生まれた弥寿子さんが、酒づくりの道に進むことを決めたのは、高校3年生の冬だった。
「いろいろ悩んでいたときに、同じ高校の先輩で、国の研究所で研究室長を務めるなど、日本酒業界の第一線で活躍していらっしゃる熊谷知栄子先生の存在を知って。同じ女性として、自分も頑張っていけるんじゃないかと、背中を押してもらいました。また、お酒に限らず広く発酵のことを学びたいと思っていたんですが、コレステロールの合成を阻害する薬を麹菌から開発するなど、特に創薬分野で活躍されてきた遠藤明先生に師事したいと考えていました。酒造業を継ぐ場合は、専門の課程がある東京農業大学に進むことが多いのですが、私は熊谷先生の出身校であり、遠藤先生の研究室がある東京農工大学に進学することにしたんです」。
学生時代は、麹菌や酵母など酒づくりに関係するものも含め微生物の世界にどっぷりだったという弥寿子さん。特に、「甘酒は夏バテ防止によい」というような、昔から言われてきたことの根拠を科学的に解明していくことが、とてもおもしろかったという。

微生物とじっくりと向き合い蓄えた知識を酒づくりに活かすべく、大学卒業後、弥寿子さんは広島の醸造研究所で1年間研修を積むことを選択する。
「大手酒造メーカーの研究員も、地方の小さな酒蔵の後継ぎも一緒になって、お酒について意見を交わしながら実験に取り組むことができる、とてもいい環境でした。朝から晩までお酒のことだけを考え語り合う毎日を過ごしたのは、後にも先にもこの1年だけでしたね。同じ時間を過ごした仲間たちとは今も連絡を取り合って、お互いの事業に関してアドバイスし合ったりしているんです」。
その後、山形県に戻り5年ほど県の工業技術センターで醸造の研究に取り組み、弥寿子さんは家業に参画することになる。

新商品開発を支えてくれたのも、やっぱり地元だった。

河北町では、寒河江川に流れ込む月山の雪解け水の恵みを受け、古くから米づくりが盛んに行われてきた。きれいな水と、その水に育まれたお米を使い酒をつくる蔵が多くあったというが、現在残っている蔵は和田酒造の他に1つしかないそうだ。200年以上に渡り酒づくりを続けることができたのは、「地域とともに歩んできたから」と弥寿子さんはいう。
「まず1つは、原料となるお米です。この辺りの気候ではあまり栽培に適さない一部の品種を除いては、山形県産のもの、特に河北町のある西村山地域のものを使うようにしています。酒づくりに使う酵母を購入している蔵も多いのですが、私たちは自社で培養していて、水分量などその年のお米の特徴に合わせて種類や量を決めています。私たちが肌で感じている気候で育つ地元のお米は、特徴がつかみやすいというメリットがあるんです。お客さまについても同じで、うちのお酒は8割が山形県内への出荷で、その大部分がここ西村山地域で飲まれています。県外や海外への出荷もあるんですが、あくまで軸足は地元に置いて、地域の方々に『おらだの酒』と言っていただけるお酒をつくることを第一にずっとやってきました」。
先代たちが大切にしてきた地域とのつながり。杜氏として、ともに酒づくりに勤しむご主人の出身地、沖縄をはじめて訪れたとき、弥寿子さんはその大切さに改めて気がついたという。
「見ず知らずの方が、『お姉さん、沖縄いいところさー』って話しかけてくださって、食べものや観光スポットなど、沖縄のいいところをたくさんおすすめしてくださったんです。私は外から人が来てくれたときに『何もないところで』とか『つまらないものだけど』とか、言ってしまっていたなと思ってすごく反省しました」。

山形のよさを広く発信していきたい。そのためには、山形らしさをわかりやすく表現したお酒が必要だ。そう考えた弥寿子さんは、ある果物に目をつける。「山形と言えば、やっぱりさくらんぼですよね。ただ、果汁を添加してしまうと日本酒ではなくなってしまい、当時は日本酒製造の免許しかなかったので自社でつくることができませんでした。何か別の方法がないかと悩みに悩んでたどりついた答えが、さくらんぼの酵母を使うということでした」。
微生物のことを学んできた弥寿子さんならではのアイデアだった。代表品種である佐藤錦の実から酵母を採取して、見事新商品が完成。しかし、発売当初はまったく注目されなかったという。色が透明で、パッと見でさくらんぼのお酒ということがわからなかったのだ。色素を添加して色をつければ、日本酒としては認められなくなってしまう。この難局を乗り越えるヒントを、弥寿子さんは河北町の中で見つけることになる。
「祖先の出身地でもある西里という地区で黒米をつくっていることを知り、それをブレンドすることを思いついたんです。さくらんぼらしい理想の色を表現するために、比率を変えて何度も検証をしました」。
こうして生まれた、さくらんぼの酵母を使ったお酒「さくらんぼの恋物語」。
数々の賞を受賞し、今や和田酒造の人気商品になっているという。

互いの持ち味を活かし、地域の魅力を届ける。

「さくらんぼの恋物語」の開発をきっかけに、弥寿子さんはさらに地域とのつながりを強め、さまざまな商品を世に送り出してきた。
「洋食に合う和のお酒」というコンセプトの「 saluteサルーテ」は、地元河北町の生産者と商工会が立ち上げた「かほくイタリア野菜研究会」との共同開発だ。町をあげて取り組むイタリア野菜のブランド化の一環として、イタリア野菜を使った料理とマリアージュをしながら丁寧に開発してきた商品だ。その saluteサルーテをベースにしたヨーグルトリキュール「Nomanega Kahoku(のまねが かほく)」もまた、同町を拠点とする奥羽乳業とのコラボ商品だという。

「これらの取り組みは、創業以来支えていただいている地元への恩返しという意味もあるんですが、連携による相乗効果を生み出すことも大切な目的です。互いに紹介し合うことで、より多くのお客さまに商品を届け、河北町のことを知っていただければ嬉しいですね」。
最後に、今後の展望について伺うと、こんな言葉が返ってきた。「軸足を地元に置いて事業を展開していくことは、これからも変わりませんが、一方で外との関わりも少しずつ増えてきています。今年の2月には、イタリアの酒ソムリエの団体が来日し、3名の方が2泊3日でうちにいらっしゃいました。それがきっかけでイタリアとの交流が深まり、イタリアへの輸出も少しずつ増えています。河北町の酒蔵というスタンスはそのままに、さまざまなことにチャレンジしていきたいですね」。
これだけ物流が発達した現代ではあるが、和田酒造のお酒は現地でこそ味わいたいものの一つ。ぜひ河北町に訪れて、土地の空気を感じながら飲んでいただきたい。

2016年山形県産清酒が、国から「GI」指定を受けました。

2016年12月に国税庁は、清酒の地理的表示(Geographical Indication:GI)として「山形」を指定しました。清酒の産地として県全体が指定されるのは、全国でも初のことです。地理的表示制度は、酒類や農産品において、ある特定の産地に特徴的な原料や製法などによって作られた商品だけが、その産地名を独占的に名乗ることができる制度です。GI「山形」の表示があるお酒は国内産の米及び米こうじと山形県内で採取された水を原料に、県内で製造・貯蔵・容器詰めされたお酒として、しっかりと品質管理を行っています。

2016年IWC2018「SAKE部門」やまがた開催

世界最大規模のワイン品評会IWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)の「SAKE部門」審査会が東北では初めて山形県で開催されました。

ワイン

世界が認める世界が認めるワインを、山形から。

秋の風が、ぶどうの葉をシャラシャラと鳴らす。北東からの風は蔵王おろしの冷たさを含み、盆地の田畑を撫でてゆく。大人の握りこぶしほどの大きさとかたちに育ったピノ・ノワールの房は、濃い黒紫に熟し、全体をブルームが覆っている。収穫まで、もうあとわずか。
「今年(2018年)は、30年に一度の当たり年になるかもしれません」
雨が少なく、日照時間が長かった今年。実の様子を確かめながら、川邉久之さんはそうつぶやいた。
北緯38度。アメリカの銘醸地ナパ・バレーと同じ緯度に、高畠町はある。ワインベルト直中の地だ。

もともと果物としてのぶどう栽培が盛んだった高畠町だが、転機が訪れたのは1990年。折からの第4次ワインブームの到来とともに、日本におけるワインのシェアは飛躍的に伸びた。もはや一過性のブームには終わらない、ワインが文化として日本に根付く時代がやって来たのだ。
冬の厳寒、夏の炎暑。昼と夜の寒暖差も激しいここ高畠町が、ぶどう栽培とワイン醸造にとって、世界でも屈指の理想郷になる。そんな夢を掲げた1990年。江戸時代から150年以上続くぶどう栽培の歴史を縦糸に、「世界に誇れるワイン造りを」という新たな情熱を横糸に、『高畠ワイナリー』は創業した。以来28年、ぶどうの栽培家たちとの信頼関係をより深めながら、栽培と醸造両方の技術向上を高めてきたのだ。

良きワイン、良きぶどうは良き人から。人づくりこそが、ワインづくりの原点

「ワインづくりは、人づくり。良き人が、良きぶどうをつくり、良き酒にするんです。私たちが28年やってきたことは、言うなれば、志を同じくする栽培家の皆さんと一緒にワインに対する哲学をボトルに詰めて、それに共鳴してくれる人の元へ届ける、ということ。哲学を共有する人をどれだけつくれるか、育てられるか、ということがとても大切なんです。高畠のぶどう栽培家さんたちは、もともとぶどう栽培に対して強い自信と優秀な技術の持ち主でしたから、私たちの“いいワイン用ぶどうをつくりたい”という希求にも大きな情熱で応えてくださいました。だからこそ、私たちも “スタイルありき”の醸造に取り組める。ぶどうは、生きものです。生きものだから、天候やさまざまなファクターに左右される。目指すおいしさのストライクゾーンにしっかりと的中できる技術がなければ、世界の銘醸に並ぶことなどできません。実際に飲む方、買われる方の信頼に応えるには、“どの年、どのボトルを飲んでも必ずおいしい”というワインでなくてはならない。現在、私たちのカーヴに眠るワイン樽は、ひとつとして同じものはありません。ぶどうの搾り方から酵母、樽のヴィンテージ、すべて変えてつくったものを、0.01mlの単位まで緻密に調整してブレンドしています。計算し尽くした混声合唱のおもしろさを、ブレンドによって生み出す。だからこそ、“こういうワインをつくりたい”という理想のイメージを、高いレベルで等質、均一なワインで実現できるのです。それこそが、私たちのスタイル。ワインが“できる”のではなくワインを“つくる”。その醸造家としての意思と信念を支えてくれるものが、いいぶどうとその栽培家さんたちなのです」。
人づくりへの取り組みは、ここへきて新たなスキームへと進化してきた。ワイナリーの創業当時からともに歩んできた第1世代から子世代である第2世代へと主力が移行しようとしている今、ワイナリーとより密な協力体制のもと互いに成長しようというプロジェクトが始動しているのだ。
「当たり前の話ではあるのですが、ぶどうの栽培とワインの醸造は繁忙期がちょうど入れ替わりになる。それを活かして栽培家さんたちにシーズンアシストとして醸造に入ってもらうことは、我々の大きな助けになると同時に、いずれ自社の農園でのワインづくりを考えている方々への技術支援になります。

また、農園の後継者となる方々に、農へのモチベーションを高めるきっかけになってくれたらいいな、という思いも。自分がつくったぶどうが、世界に羽ばたくワインになる。その現場に立ち会うことが、ぶどうづくりへの新たな意欲に繋がると思っています。現在、80年にわたってぶどう栽培に取り組んできた栽培家さんの3代目が一緒にワイン用のぶどうづくりをしています。栽培家としてのノウハウを互いに教え合いながら、ワイナリーの醸造技術や経営技術などを彼にも学んでもらう。いずれ彼が自分のぶどう園に戻った時には、とても良きパートナーとして一緒に高畠を盛り上げてくれる存在となるでしょう」栽培の長、四釜紳一さんと畑に立つ島軒正陽さんがその人だ。「フルーツとしてのぶどうしか育ててこなかった自分にとって、ワイン用ぶどうの栽培は未知のジャンル。同じぶどうでもこんなに気を付けることややり方が違うのか、と日々勉強です。昨年からは、米沢にある自分の畑でもカベルネ・ソーヴィニヨンをつくり始めました。自分ブランドのワインにも、いつか挑戦したいですね」。
また、農大で醸造科学を学んだ矢嶋夏樹さんも、日本のワインづくりに明るい未来を夢見て『高畠ワイナリー』へと入社した期待の新星。「日本ならではの良さが十分に反映された、世界に通用するワイン。そんなワインをこの手でつくってみたいと思ったんです。『高畠ワイナリー』との出会いによって初めて訪れ、住み始めたばかりの高畠町ですが、四季の豊かさに驚いています。この厳しくも鮮やかな自然がこのワインを生み出すのか、と。今は大学で学んだことと実学との差を埋めることに精一杯ですが、いずれは川邉さんの片腕として現場に立てるようになりたいです」人は育ち、そして熟していく。ぶどうと同じだ。若き才能を得て、山形のワインはさらに高みへと昇っていくだろう。

山形を世界レベルのワイン王国に。高畠が掲げる「100年構想」

「山形は、東北のプロヴァンス。素晴らしい食文化があって、素晴らしい日本酒もたくさんある。その豊かなガストロノミーのひとつとして、県産ワインの提案をしていきたい。そのために、ここ高畠をブルゴーニュやボルドー、ナパ・バレーといった世界の銘醸地と並び立つ存在にすることが目標です。たとえ100年かかったとしても、私たちはそれを達成するプレミアム・ワイナリーにならなければならない。そのためには、ワイン造りを単なる“モノづくり”として考えるのではなく、ワインのある暮らしをつくる、文化を創る“コトづくり”として考えていくことが重要だと思っています。

例えば、東北にはまだ存在しないワインアカデミーの創立や、ワイナリーを開放し知識や技術を提供しての教育プログラムの確立、新しいワインツーリズムの提案やコンスタントなイベントの開催など、ワインを文化として楽しみ、暮らしの中に浸透させるための方法論はたくさんある。そんなワイン文化の交流点としての高畠、オープンマインドなワイナリーを目指していきたいですね」。

第6の調味料 眺め、遊び、浸かる。おいしい旅の隠し味第6の調味料眺め、遊び、
浸かる。おいしい旅の隠し味

おいしい食事に欠かせないのは、なんと言っても空腹。
足を延ばしていろいろ巡れば、旅はまだまだ美味しくなる。
山形の美食・美酒と一緒に味わってください。
山形の自然・歴史・温泉情報