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上杉博物館 開館15周年記念「大正期の米沢の美術」開催!

上杉博物館 開館15周年記念「大正期の米沢の美術」開催!:画像

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開館15周年記念コレクション展
「大正期の米沢の美術」

期間  
2月18日(土)〜3月26日(日)
休館日:毎週月曜日(祝日の場合は翌日)
   
 大正時代、海外の思想や文化が同時期に伝わるようになり、
自由主義の気風の中、美術の分野でも個性や生命の尊重に
目覚めた作家たちが、多様な制作姿勢を展開するようになります。
また、感性や方向性を同じくする作家たちが団体を作るなど、
新しい動きは米沢にも波及します。
 特に明治期に生まれた『洋画』においては、のちに日本画に
転じる本間国雄が「白馬会」、「ヒュウザン会」に出品し、
中央画壇を舞台としていきます。続く椿貞雄は岸田劉生とともに
「草土社」を結成し、当時の画壇に新風を巻き起こし、
以後米沢の芸術家たちを牽引し続けます。  
 椿が劉生を顧問に米沢在住の画家たちを集めた「七渉会」は
定期的に東京での展覧会を開催し、米沢と中央画壇をつなぐ
大きな役割を果たしました。
 この一員であった土田文雄は、梅原龍三郎に強く傾倒し、
「春陽会」で活躍することになります。
 米沢在住の芸術家たちは、油彩、水彩、図案、彫刻などの
ジャンルを網羅した「米沢美術会」を結成し、定期的な展覧会を
開催するようになります。  
 一方『日本画』では、小野寒江、我妻碧宇らが頭角を現し、
東京や京都で学ぶ者も現れます。
 中でも吉池青園は、米沢女学校を卒業後上京し、池田輝方・
蕉園に師事し、女流画家として将来を嘱望されました。
 米沢では大正6年、8年の大火による市民生活の混迷、
国内では大正12年の関東大震災による未曽有の被害など
人々を取り巻く状況も様々に変化し、大正期は激動の15年間
だったといえるでしょう。  
 本展では、当時の米沢の写真を織り交ぜながら、約8000点の
アートコレクションから大正期に活躍した作家の作品を中心に
展示し、当時の米沢における芸術の流れを紹介します。  
 また、教育普及事業「きみも学芸員になろう!チルドレン
キュレーターズ」(こども学芸員の育成事業)と連携し、
こども学芸員が選んだ作品を展示し彼らの視点で見どころを
紹介していきます。

2017.03.02:[市町村ニュース]

チラシ裏面

チラシ裏面:画像

2017.03.02 15:38:[staff]:編集削除

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