与謝野晶子歌碑
よさのあきこかひ
「さみだれの出羽の谷間の朝市に傘して売るはおほむね女」の碑
夫、鉄幹とともに「明星」の中心となり、自由奔放、官能的、情熱的な歌風によって浪漫主義詩歌の全盛期を現出させた晶子は、昭和10年6月末から7月にかけて「あつみ」を訪れた。
「二日の夜、無事帰郷いたし候、出立の際は、わざわざ御見送り下されかたじけなく存じ申候、山形県の温海の湯までまいり候ひし云々」とある。昭和10年刊行の遺歌集「白桜集」の中に、「越より出羽へ」と題し十首収載されている。
「朝市の始まりぬとて起されるほととぎすなど聞くべき時刻」
「二日して湯の香混じりの五月雨に馴れし出羽の温海山かな」
※平成28年3月 歌碑はあつみ温泉朝市広場に移りました。
夫、鉄幹とともに「明星」の中心となり、自由奔放、官能的、情熱的な歌風によって浪漫主義詩歌の全盛期を現出させた晶子は、昭和10年6月末から7月にかけて「あつみ」を訪れた。
「二日の夜、無事帰郷いたし候、出立の際は、わざわざ御見送り下されかたじけなく存じ申候、山形県の温海の湯までまいり候ひし云々」とある。昭和10年刊行の遺歌集「白桜集」の中に、「越より出羽へ」と題し十首収載されている。
「朝市の始まりぬとて起されるほととぎすなど聞くべき時刻」
「二日して湯の香混じりの五月雨に馴れし出羽の温海山かな」
※平成28年3月 歌碑はあつみ温泉朝市広場に移りました。