新関因幡守墓碑
にいぜきいなばのかみぼひ
慶長6年(1601年)8月藤島城に着任した城主新関因幡守久正は、寛永元年7月8日上州古河において病死した。
遺骨は遺言により嫡子によって藤島法眼寺に送られ、文筆の友として親交あった法眼寺11世道翁運達和尚によって境内に葬られた。
龍瑞院殿真如知天大居士がその法名。
遺骨は遺言により嫡子によって藤島法眼寺に送られ、文筆の友として親交あった法眼寺11世道翁運達和尚によって境内に葬られた。
龍瑞院殿真如知天大居士がその法名。