北山原殉教遺跡
ほくさんぱらじゅんきょういせき昭和3年に舘山の教会に赴任したシュインテク神父の調査により、荒地になっていた処刑場が殉教の地であることが確認され、翌4年に有志の手によって整備されると、ドイツからキリスト・マリア・ヨハネの像が贈られ、現在の北山原殉教遺跡の姿へと変わっていきました。
また最近では、甘糟右衛門をはじめとした米沢の殉教者を含む江戸時代初期のキリシタンが、ローマ法王庁により2008年11月24日に福者に列せられました。
昭和3年に舘山の教会に赴任したシュインテク神父の調査により、荒地になっていた処刑場が殉教の地であることが確認され、翌4年に有志の手によって整備されると、ドイツからキリスト・マリア・ヨハネの像が贈られ、現在の北山原殉教遺跡の姿へと変わっていきました。
また最近では、甘糟右衛門をはじめとした米沢の殉教者を含む江戸時代初期のキリシタンが、ローマ法王庁により2008年11月24日に福者に列せられました。