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レトロフォトジェニックな旅

旅行といえば、写真をたくさん撮って、記念に残したいと思う方も多いでしょう。


どうせならありきたりな写真ではなく、「これぞ山形だ!」という写真を撮りたくはありませんか。


そこで本記事では、山形県を代表する観光地の「銀山温泉」を始め、山形駅から徒歩で行ける観光地まで幅広くご紹介します。


山形を旅行先へ検討している方や写真を撮るのが好きな方はぜひ参考にしてみてください。

ノスタルジックな温泉街 銀山温泉

タイムスリップしたかのようなレトロな景色が広がるのは尾花沢市にある銀山温泉。銀山川の両岸に木造の温泉旅館が立ち並ぶ温泉街は夕暮れになるとガス灯に火がともり、ノスタルジックな日本情緒が漂います。映画「千と千尋の神隠し」の舞台のモデルになったのでは?と思うような赤い橋と旅館も。あの国民的ドラマ「おしん」の撮影地としても有名です。


また冬の雪の舞う夜は一段とノスタルジー。雪化粧をした街並みが外灯によく映え、吐く息すら美しくみえるから不思議です。


昼間の街歩きでは、立ち並ぶ旅館の壁やアスファルトのタイルにご注目ください。壁には鏝絵(こてえ)※と呼ばれるカラフルな絵が描かれ、アスファルトには雪の結晶を模したタイルが埋め込まれていますよ。


「和楽足湯」では銀山川のすぐそばで源泉をそのまま使用した湯に浸かれ、温泉街ならではの非日常感を堪能できます。歩き回れる範囲内にカフェ・食べ歩きスポット・おみやげ屋も充実しており、散策して疲れたら、足湯に浸かるという贅沢が実現します。


大正時代の貸衣装を着て、街並みを歩いたら気分はもう大正ロマン。 


※鏝絵:漆喰を用いたレリーフのこと。左官職人のこてで仕上げるためその名がつきました。

かつて栄えた銀山で思いを馳せる 延沢銀山遺跡

銀山温泉街から約15分のところに「延沢銀山」はあります。現在は、国指定史跡で近世鉱山史の研究にとって欠くことのできない遺跡です。


延沢銀山は室町時代から採掘が行われ、江戸時代を代表する銀山の一つでした。最盛期には、島根の石見銀山、兵庫の生野銀山とともに三大銀山と呼ばれましたが、その後は銀の量が減り、1689年(元禄2年)には大崩落が起きて廃山になりました。


そんな延沢銀山遺跡は中に入れます。歩道橋が付けられ照明設備も整っているので、銀坑洞内の黒ずんだ岩肌の中を探索してはいかがでしょう。息をのむ静けさとひんやりとした冷気は、まるで別世界に迷い込んだかのようです。

きっと好きになる湯治場風情 肘折温泉街

開湯1200年以上の歴史がある湯治場、肘折温泉。狭い道路の両脇に建てられた旅館やお土産店・レトロな外観の旧郵便局・伝統工芸品の肘折こけしの職人技を見学できる工房などどこか懐かしいあったかい雰囲気です。


温泉街の中心にある共同浴場「上の湯」は、温泉街のシンボルです。肘折温泉へ宿泊のお客様は「上の湯」の入浴料が無料。お泊りの旅館の温泉や「上の湯」、その他にも日帰り温泉施設や日帰り入浴可能な旅館があるので、温泉めぐりもおすすめですよ。保湿効果の高いあたたまりの湯で有名な肘折温泉ですが、施設ごとに引いている源泉が違い、泉質やお湯の色もさまざま。おまんじゅうやお団子などの肘折温泉名物グルメを楽しみながら、ゆっくりとレトロな温泉街散策はいかがでしょう。


また肘折温泉の名物は「朝市」。4月下旬〜11月下旬の毎日開催していますよ。山菜や野菜などの旬の味覚が購入できます。食べ方などは売り子のお母さんたちが教えてくれますので会話しながら見るのも楽しみのひとつです。

宿場町の面影辿る 羽州街道 楢下宿

参勤交代が行われていた江戸時代、各藩の老中や出羽三山詣での行者らで賑わっていた羽州街道の宿場町・楢下宿。江戸時代の旅籠建築がそのまま残る古民家が点在し、内部を公開している施設がところどころにあります。見学しながら歴史を感じつつ街歩きが楽しめます。


その中のひとつ「大黒屋」では、囲炉裏を囲んで地元のおばあちゃんたちが手作りした郷土料理を食べられます。(5名様より受付、5日前まで要予約)。昔ながらの畳の上でゆったり味わう料理はどれも格別。時間の経過や日常を忘れて過ごしていただきたいです。


集落の中心を流れる金山川にかかる石造りの橋の新橋、通称「眼鏡橋」も見どころのひとつです。明治13年に作られたアーチ式の石橋は、当時の金山川の洪水にも流されないように西洋技術を取り入れたそう。紅葉の見頃を迎える10月下旬〜11月上旬には、より一層風情ある雰囲気に包まれますよ。


楢下宿の入口にある「こんにゃく番所」では、山形のソウルフード「玉こんにゃく」や全てがこんにゃくで出来ている「こんにゃく懐石」などここでしか味わえいこんにゃく料理に舌も目も大満足になること間違いなし。

金山時間が流れる小さな山里 金山の街並み

楢下宿とともに羽州街道の宿場町として栄えた金山町。今も古い建物や蔵が多く残り、当時の面影を感じられます。


白壁に黒やこげ茶色の切妻屋根、均一な年輪と強度が特徴の金山杉の下見板張りと見ているだけで気分は江戸時代。金山街は自然と調和した美しい街並みが保存されています。


街の中心部を流れる大堰は、金山町のシンボル。石積みの水路の中には鯉が泳ぎ、大堰脇に整備された遊歩道や公園を散策するのにぴったりです。

散策の一休みに大堰から徒歩ですぐの場所にある「マルコの蔵」や「蔵カフェ」でコーヒーはいかがでしょう。歴史深い佇まいの蔵の窓から眺める景色は、季節とその時々で全く違う表情を見せてくれます。

実は夜の街歩きもおすすめ。ライトアップされた石畳はさらに趣深いですよ。


その他、街並み案内(要予約)や星空観測、谷口銀山探検(要予約)などもできますのでチェックしてみてください。

レンガ造りの国指定重要文化財 文翔館

文翔館は1916年(大正5年)に建てられた英国近世復興様式を基調にしたレンガ造りの建物です。1975年(昭和50年)まで山形県庁舎及び県会議事堂として使用されていました。


文翔館のシンボルでもある旧県庁舎の時計塔は、現在も稼働中。札幌の時計台に次いで2番目に古いものなんだとか。時計に刻まれた歴史と時計職人の努力を感じてほしいです。


建物内部に入ると、目に飛び込んでくるのは玄関ホールと階段。まさに西洋建築の情緒が漂い、階段の手すりや各部屋の天井や床など、見事な装飾があちらこちらに施されています。階段を上ってすぐの正庁(現在でいう講堂)の天井には、職人の技光る漆喰飾りが復元されています。紅花やさくらんぼなどの山形の特産品が隠れているので見つけてみてくださいね。

映画やドラマのロケ地としても使用されてきた文翔館の魅力に触れてみませんか。

洋風と和風建築のコラボが魅力 山形市郷土館 旧済生館本館

桜の名所としても知られる霞城公園内にある山形市郷土館 旧済生館本館は、病院として使用していた建物を移築し公開しています。日本の職人が欧米の建築を真似て建築した擬洋風建築が特徴です。1層目を中心に14角形のドーナツ型の回廊に囲まれた建築形態は横浜のイギリス海軍病院を参考にしたそう。


外観の美しさはさることながら、内部の装飾もまた見事。色とりどりのガラスの組み合わせで作られたアーチ型の窓ガラスやこの先は異空間に繋がっているのではと期待が膨らむ螺旋階段などワクワクとドキドキが止まりません。


霞城公園内やその周辺には、山形市郷土館のほか、山形県立博物館、山形美術館、最上義光歴史館などの多くの文化施設があります。山形の歴史や文化を辿る旅はいかがでしょう。

鶴岡の歴史や文化の宝庫 致道博物館

致道博物館は、山形県鶴岡市にあります。博物館をご案内する前に鶴岡について少しご説明しますね。実は鶴岡は、今もなお、殿さまが住み続けているまちなんです。令和4年(2022年)で庄内藩主酒井家が庄内へ入部して400年。入部から現在に至るまで、酒井家は鶴岡に住み続け、領民や市民に「殿はん(さま)」と慕われています。


そんな殿さまが住み続けるまちの致道博物館には、重要文化財に指定されている建築物がいくつも移築、展示されています。


かつて鶴ヶ岡城の三の丸で酒井家の御用屋敷だったところが現在の致道博物館。擬洋風建築でレトロな佇まいの「旧鶴岡警察署」・「旧西田川郡役所」や書院造りの「酒井家庭園」は圧巻です。


「重要有形民俗文化財収蔵庫」には民具が収蔵されており、庄内地方の当時の生活様式や文化を垣間見れますよ。企画展示もユニークで何度訪れても楽しませてくれます。

赤と白のコントラストが美しい 大寶館

大寶館は致道博物館に隣接し、鶴岡公園内にある郷土ゆかりの人物資料館。大正天皇即位を記念して創建され、大正4年(1915年)10月に完成、11月10日の即位の日に開館しました。


ルネッサンス風のドームが乗った赤い屋根と白い壁のコントラストが美しい大正初期の洋風建築物です。開館当時から戦前は、産物陳列場として、昭和26年(1951年)からは昭和60年(1985年)までは市立図書館として地域の人々に親しまれました。その後の市立図書館の新築移転に伴い、人物資料館として今に至ります。


地域の人々と共に時代を過ごしてきた大寶館は春の桜、初夏の新緑、冬のライトアップなど、季節によってさまざまな顔を見せてくれますよ。公園内には藤沢周平記念館や荘内神社もあり、撮影や散策にも最適です。

四季の移ろいと風雅なときを 上杉記念館

上杉記念館(旧上杉伯爵邸)は、1896年(明治29年)に米沢城二の丸跡に上杉家14代茂憲(もちのり)伯爵邸として建てられ、当時の敷地面積は約5,000坪と壮大な大邸宅でした。しかし、大正8年米沢大火で焼失。その後再建され、第二次世界大戦後には米軍将校の宿舎として使用されました。


昭和25年に上杉家より米沢市に譲渡され、今は郷土料理の提供、資料展示などで賑わっています。米沢の郷土料理の原点、鷹山公の「かてもの」を味わうことができる米沢唯一の館でもあります。


米沢藩に興味がある方もない方も郷土料理に舌つづみし、令和元年(2019年)に警護棟を改修した「米織・茶寮 和庭」で休憩はいかがでしょう。

米沢織の着付け体験もできるので、着物をきて隣接する上杉神社周辺を歩くだけで絵になりますよ。

明治・大正・昭和と時代を繋いだ旧高畠駅

高畠町の中心部にひと際目を引く建物があります。それが「旧高畠駅」です。


昭和9年(1943年)に建てられた2階建て、陸屋根※の重厚感あふれる佇まい。石造りの建物ですが、その石材は高畠町の瓜割石切場から産出された高畠石を使用しています。高畠石は、多孔質の溶結凝灰岩であることから加工しやすく変色しにくい特徴があるそう。


現在は「まほろば緑道高畠広場」として利用されていますので、気軽に立ち寄れますよ。

また黄色みがかった色合いが人気で、フォトウエディング等の写真撮影でも使用されているそうです。時代を感じる重厚な雰囲気の中の撮影は一生の思い出になりますね。


※陸屋根:水平またはほとんど勾配がない屋根のこと

レトロフォトジェニックな旅のモデルコース

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